2013年6月12日水曜日

メンバーが語る学習室 ~轟晃聡さん~

―自己紹介をお願いします。
「ロッキー」こと轟 晃聡(とどろき あきとし)です。
よく間違われますが、「とどろき」学習室を作った人ではありません。
慶應義塾大学商学部を今年3月に卒業し、4月から社会人としてバリバリ働いています。
大学生活ではトロンボーンを吹いていました。あと47都道府県踏破するほど旅行好き。教えることと子供たちとのふれあいが大好きです。
               
―学習室を知ったきっかけと、参加した理由は何ですか?
震災が起きたのが大学2年生の春休みでした。3年生からお世話になる研究会の教授である牛島先生から「とどろき学習室」の立ち上げのメンバー募集の連絡が回りました。

まさかの「とどろき」つながりで運命を感じ(?)、初回から参加しています。
というのは、つかみであって

真面目に申し上げますと、当時震災でバタバタしていた周りの生活。
震災直後は、「あの友達が被災地にボランティアにいった」「これから行くらしいぞ。」「お前はいついくの?」といった会話が多くありました。ある意味、被災地に行くことが「ステータス」としている光景がありました。
私も被災地の人のために何かがしたいという思いの一方で、でもお金もかかるし、学校も行かなければならない。私がもやもやしているときにキャンパスの近くで始まった「とどろき学習室」。これは行くしかないと思いました。
ついでに塾講師や家庭教師のバイトもしていて、昔から教えることが好きだったということも行くきっかけの大きなひとつです。

―普段の学習室の様子はどうですか?
【避難所時代の様子】
とどろき学習室は、避難所として開設されていた「とどろきアリーナ」の体育館の横の会議室で週1回はじまりました。なかなか話す場面がないので、当時避難所で行われたことを書きたいと思います。
震災がおきて1か月あまり。初回の4月30日は今でも忘れられません。
特別に居住スペース(といっても膝下くらいしかない仕切りで区切られているだけ)に学習室の広報を許可していただいて入ったとき、テレビの向こう側、遠い東北でイメージしていた光景がアリーナの体育館には広がっていました。
被災地に赴かなくても自分には東北のためにできることがある。それがとどろき学習室でした。当時のこどもたちは遊ぶ場所を求めて学習室に来る子供たちも多く、いまとはうってかわって遊び場でした。ボールを使ったり、だっこしたり、おんぶしたり・・・。避難所閉鎖がきまった8月末。最後の避難所学習室で、出口まで送ってくれてなかなか帰ろうとしないこどもたちもとても印象深いシーンです。

【現在の学習室】
 武蔵小杉に場所を変えてからは、「勉強」メインでこどもたちとコツコツ勉強しています。真面目に勉強する一方で、普段の学校の生活や流行など聞けるのも楽しいですね。ただただ勉強を教えるだけではなく、年の近いお兄さんと楽しく勉強できるかを考えながら過ごす学習室はとても雰囲気がよくて楽しい空間です。

 ▲大学卒業祝いの手書きのメッセージつきアルバムをもらいました!!

―学習室の好きなところはどんなところですか?
【「第二の家」】
これは当初からテーマとして掲げている言葉です。社会人になり、行くことができていませんが、たまに帰りたくなる家になっている学習室が大好きです。
勉強を教えることが第一義であることは変わりませんが、他愛もない話をこどもたちとするひと時も大事な時間です。家族ではないのに、違う年代の人同士が何も壁がなく話せる空間はこの学習室ならではのステキな空間です。

【みんなで作り上げる学習室】
主宰の鈴木さんの学習室にかける思いは設立当初から頭があがりません。そして、そのまわりのメンバーの学習室への熱意も負けてられないなと感じる場面が多々あります。
毎月行われる全体ミーティング。毎回熱のこもった議論が飛び出します。上級生も下級生も関係ありません。このアツいメンバーがいることが学習室の財産なのではないでしょうか。
もちろん、学習室に来ているこどもたちも忘れてはなりません。クリスマス会、卒業おめでとう会などこどもたちも一緒になってイベントを作る工夫をしています。司会をしたり、ゲームを進めるこどもたちを見ると、大学生と子供たちが一緒になってはじめて学習室ができることを実感します。












▲学習室の大学生メンバーとの出会いも大きな財産です。

【学習室でしか経験できないこと】
好きなこととは離れてしまうかもしれませんが、学習室の活動では普段できないことを経験できた場所でもありました。2つあげたいと思います。

●被災地の学習支援に携われたこと。
この記事でもありましたが、昨年の夏休みに東松島市の学習支援プロジェクトに参加しました。仮設住宅に住む方々、多くのこどもたち、現地の校長先生とお話しできたことが印象的です。

●神奈川県知事の前でスピーチができたこと。
神奈川県の取り組みで、NPO法人が中心となった活動を紹介するイベントに代表でスピーチをすることができました。

















▲東松島市の市報に載りました! 














▲神奈川県知事の前でスピーチ。緊張した


ほかにも他の震災復興の団体や、高校出張授業など、様々な経験をさせていただいております。

―学習室を通して学んだことは?
(震災について、震災以外について両方教えてください)
【「成長」】
 とどろきアリーナで初回から参加している子は当時中3の受験生。その彼女ははやくも高校2年生になりました。避難所での姿とはまた違った姿を見ることができています。会話の内容も高校生らしくなり、このプロセスは息の長い学習室の活動ならではです。他のこどもたちも毎回見るたびにちょっとしたことに気づくことがとてもうれしいです。

【言葉の重み】
 震災の爪痕はまだまだいたるところに残っています。このような文章を書いたり、普段の活動をしたりするにあたり、一番は被災地、被災者の皆様の気持ちを優先した行動・言動が求められています。自分自身も様々な経験をし、学んできました。一つ一つの言葉に気を使うようになったことは(もちろんいい意味で)大変大きな学びになったと思います。

―これから学習室をどのようにしていきたいですか?
【ひきつづき「第二の家」を】
学習室はこの二年間でも様々なことに取り組んできました。学習の場である主軸を中心に、派生した活動をどんどん取り組んでいきたいです。もちろん、このような支援の場がなくなることが本当のゴールかもしれませんが、被災地復興のゴールはまだまだ息を長くしていく必要があります。子供たちのためにも、そして私たちが震災のことを忘れないためにも引き続き活動していきたいです。

【震災の「発信地」になる】
 首都圏で活動している震災関連の団体のひとつとして、ブログ・facebook等を通じて私たちの活動を発信していかなければならないと思っています。自分が学習室の広報担当であるということもあるのですが
 あわせて、こどもたちにも震災について考え発信できる場面も作れたらと考えています。もちろんセンシティブな話題でありますし、タイミングを慎重に見ていかなければなりません。いつか当時の話を聞いて、新たな復興のスタイルを子供たちと考えられる日が来ることを願っています。


 以上つらつらと書いていましたが、ブログを担当する機会をいただき、改めて学習室について考えることができました。引き続き、社会人として学習室を盛り上げていきたいと思います。ありがとうございました。

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